htm 生き方考え方

中心大学ホーム図書館>闘病の五千日


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序






外からの敵もこわい。しかし、さらに恐ろしいのは、内に持つなや
みである。六尺豊かな大男に、長さ一分の竹のトゲがささる。そん
なものは問題でないとはいえない。一分のトゲでも取り去らねば、
六尺男もなやむ。次の宿敵は思うように出来ない。

更生、独立の日本に、病む人があまりにも多い、肺を病む人だけで
も百五十万といわれている。国民の医療費は毎年千億を超えている。
病人がなくなったら、千億の医療費はいらない。それだけではな
い。逆に病人が働く人になったら、幾百万の労力が新しく生まれる
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ことになる。内になやみを持って働けぬ人、病む人を抱えて思い煩
らう人、病み臥して世を呪う人、その数は驚くべきものである。民
族の悲劇である。国富の削除である。根本的の対策はどうすること
であろうか。


私の青年時代は病弱であった。家族の重荷となっていた。マイナス
の生活であった。いまは実に丈夫になった。マイナスはプラスに変
わった。全家族の生活を引きうけている。重荷を負って働く人間に
変わった。マイナスの人をプラスにする。ぶら下がっていた人を働
く人に替えて行く。これは新しい富を造り出すことである。一日も
早く病む人のない日本になって貰いたい。


全日本の国立病院のにぎやかさ、入院の床あきを待つ人の多さ、病
人の国日本と深い溜息が出る。私は参議院議員のときよく地方の視
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察に出た。病む人のいたましさを思って、胸ふさがる思いであっ
た。悲しみでいっぱいになった。根本的な救いをしなければならぬ
と思った。


日本には病院も沢山出来た。日本の医学は世界的水準になったと聞
く。しかも年々病人は減らない。これは、病いに落ちた人を救う道
は進んだが、落ちないように救う、落ちない前に救う、この救いの
道がおくれているのではあるまいか。ころばぬ先の杖がいるのでは
あるまいか。


私は二十二才の時スペイン風邪にかかった。肺炎、肋膜、それから
結核へと進んだ。慶応大学の理財科に学んでいた私は、病いのため
に本科二年の時中途退学した。三十七才の時にほ大喀血を二回やっ
た。口からも鼻からも血をいっしょにはいて倒れた。生死の一線を
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さまよった。その時、父母の心中を思って泣いた。妻子の前途を思
って、泣くにも泣けない焙りを感じた。病いは一進一退した。一時
はよくなった。しかしまた倒れた。二十二才から三十七才までの十
五年間、病いと闘った。五千日である。いまは病いからぬけ出した
ように強くなった。病床で書きはじめた月刊雑誌「中心」も三十年
目を迎えた。


私の過去を静かに考えてみた。そこに、私一人の力ではとても立て
なかったと思う。師友、父、母、妻、兄弟姉妹の絶大な力添えがあ
る。多くの人々の真心にささえられて、やっと苦難をぬけた。思え
ば運命のよい道であった。有り難さが光っている。そうして強く感
じたことは、人の心の持ち方、人生観の立て方、生活の変化、こう
したものがいかに治病に大きい役割を持つものであるかということ
であった。
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私が起伏十五年、肺をなやみながら生きていたのは大正時代であっ
た。当時は肺病によい薬もまったくなく、手術もない時代であっ
た。肺病はうつる。恐ろしい病気だ。一家を全滅させる。こう思わ
れていた。心まで暗くなる時代であった。医者も肺病をなおす決め
手はなく、ただ気やすめのような診断をした。風邪をひくな。安心
せよ。休養第一だといった時代であった。だから、ただいまの人々
に参考になるような医学上の治療法はなにもない。


その時代に九死に一生を得て病いをぬけ出した。これは主として真
理の追求、精神生活の立直しを願う信仰生活によるものと思ってい
る。この心と病いの関係を解く。この点からいえば、私の生き方、
闘病の十五年は、これからも多くの人の参考になると思う。


結局私は、十五年間自ら肺病と闘ったことになる。しかし、詳しく
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考えてみると、肺病そのものと闘ったのではなかった。肺病を病む
ような私の心のゆがみ、暗い不幸な運命とつり合うような私の不
徳、人間的に欠点の多いゆがみ、心使いのあやまり、これを立て直
す。人生観の暗さを切り替える。そのための十五年間の闘いであっ
たと思っている。


おばれるものは藁をもつかみたくなる。いかに肺病に対して無力だ
といわれても、やはり医者を第一のたのみ甲斐と感じていた。小田
原や鎌倉に転地した。しかし、同病の周囲の人々が次から次に死ん
で行く。暗が一切を解決しているような気がした。医者や薬は気や
すめといった姿であった。だからあせった。死の不安にもおびえた。


それでいろいろな信仰の書をよんだ。一燈園の天香さんにもひきつ
けられた。親たちの信仰している天理教にも詣った。キリスト教の
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教えも求めた。結局宗教の真理が、私の心にただ一つのすがる価値
ありと思えた。


天地宇宙を貫ぬく真理の道がある。これを求めて、それにのって進
む以外に健康の道なしと思った。しかし、単に信仰すれば助かると
か、神仏にすがれば助かるという考え方には反感さえ覚えた。自分
の責任を悟らずに、虫のいいことを願うことは、神仏の怒りとあわ
れみを買うだけだと思った。だから、信仰によって天地の正しい道
を知る。その道を守って進む。一日一日自分のゆがみ、脱線を立て
直す。自らが正しくなっただけ天地のめぐみを得られるものだと信
じるようになった。


私は発病以来もう三十年になる。闘病の十五年、五千日、全快して
後、活動の三十年、合わせて四十五年、回顧して感慨無量である。
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しかし、今日の健康と活動を恵まれるまでの歩みは、油断のならな
いものであった。身心を練り、信仰をかためる。ただこの一途とい
える。


肺病は不治の病いと昔からいわれていた。生やさしいことでは切り
抜けられない。その歩みの跡を思い出して、胸いたむ思いであ
る。だから同じ病いにある人、また、病む人を抱えている家族の人
々に、一つの光ともなれば有り難いと思って本書を書いた。


闘病の道を二つに分ける。医者が半分、病人が半分、半分ずつの責
任がある。医者の受け持つ分野は専門的である。病気そのものだか
ら、素人の私にはわからない。世に多くの著者もある。専門的に医
薬の分野が研究されている。しかし、病人の受け持つべき責任の半
分を語る書物は少ない。人間を語り、病人を語り、自然を語り、心
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を語るものが少ない。私は病人として悲しい思い出の中から、誰に
でもこれは必要だと思う点を書いてみた。病む人のために、病人を
抱えている人のために役立つものと確信する。


私は十五年の歳月を、病気と仲よく寝ていたのではない。私は自分
の病気と闘って来た。私の人生観や社会観や運命観に幾多の迷いが
あった。これを整理する道につき進んだ。だから私は、命を的に病
いと闘った人間である。その足跡の思い出をくりひろげて、いくつ
かを書きつけてみたのである。一人でも新しく生きる力をつかむ人
の生まれることを祈りながら書いた。


私は不徳、非才の身である。したがってこの書は、真理そのもので
はない。真理を求めて歩いた人間の一つの例にすぎない。参考とし
てお役に立つことがあれば幸甚である。
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真暗いやみの中にローソクの光をつける。たちどころにくらいやみ
は破れる。やみを追い払うことを焦るよりも、光をつける努力が大
切である。病む人にとっては、心に明かるいゆとりを持つことが大
切である。心に光あれかしと祈って…………

               著者し る す
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       目    次



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序


自然と人間


 心と病い……………………………………………………………一九
 修繕の助手…………………………………………………………二三
 大自然の親切………………………………………………………二六

病み臥す以前

 見る場所、その責任………………………………………………三三

 物心両面の論争……………………………………………………四六

             ………………………………………五六


病んでから


 空しき青春…………………………………………………………七一

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 かわける心に………………………………………………………七三
 何のために生まれたのか…………………………………………七七

 狭い世界と広い生活………………………………………………八五

 住めば都……………………………………………………………八九
 喀 血………………………………………………………………九三

 空にする生活……………………………………………………一〇一

 生死一如…………………………………………………………一〇五
 種蒔き……………………………………………………………一一一



病後回想

 半分だけ…………………………………………………………一一九
 運命と生活………………………………………………………一二三
 運命と心…………………………………………………………一二五
 心の内容…………………………………………………………一二七
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 とけこむ道………………………………………………………一三一

 水に教えられて…………………………………………………一三三
 松葺は落葉のくさりから………………………………………一三五
 運命の冷蔵庫……………………………………………………一三九
 病いの大きさ……………………………………………………一四一
 人をさばくな……………………………………………………一四五
 心低くやさしく…………………………………………………一四七

 心の窓を開け……………………………………………………一五一


 巻末に添えて……………………………………………………一五七

                 装 幀  木  俣   武
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